「美味しいコーヒー」を求めて、いろんな珈琲豆を買ったり、器具にこだわったり、淹れ方にこだわったり、しまいには自分で焙煎したり。
珈琲の焙煎をすればするほど、珈琲の事を考えれば考える程、
「美味しいコーヒーって何だ?」
こんな事をよく考えます。
皆さんにとって「美味しいコーヒー」って、どんなコーヒーですか?
本やネットを開けば、美味しい珈琲の情報は溢れていますが、ふとした時に思ってしまうのです。
自分にとっての「美味しいコーヒー」って何なんでしょうね?
まとまりの無い文章になりそうですが、「美味しいコーヒー」について思う事を、つらつらと綴っていきたいと思います。
私の「美味しいコーヒー」の判断基準

まず、普段私が美味しいコーヒーの判断基準にしているはシンプルで、
「気づいたら、もうこんなに飲んでた♪」
というコーヒーです。
あまり難しい事を考える必要は無く、
単純に、コーヒーの進みが早ければ、美味しい豆を選べているし、美味しい淹れ方が出来ている。と考えています。
なぜ、そう思っているのか?について、もう少し掘り下げてお話していきますね。
身近になった世界の珈琲

ここ数年、コーヒーが身近な物となり、たくさんの人がいろんな形でコーヒーを楽しんでいます。
さらに、生豆の産地や焙煎具合、抽出方法による味の違いや風味を楽しんだり、スイーツとのペアリングなど、楽しみ方も多種多様でコーヒーの可能性を感じる今日この頃です。
コーヒーをこよなく愛する、コーヒーlover以外にも、生活の中で「美味しいコーヒーを飲みたい」という方が増えているという事は、とても良い事だなぁ。と思います。
この文章を読んでいただいているこの瞬間も、
どこかで、誰かが、
コーヒーチェリーを丁寧に育てて、
どこかで、誰かが、
丁寧に焙煎をしています。
そして、
どこかで、誰かが、
誰かの為に珈琲を淹れていることでしょう。
こう考えると、誰かが何かを思って作った珈琲なら、そもそも「不味いコーヒー」なんて無いんじゃないか。とさえ思えてきます。
世の中には、多くのコーヒーがありますが、一生をかけても世界中に存在する全ての珈琲を飲むことは出来ないでしょう。
それでも、なるべく多く、自分自身が「美味しい」と思えるコーヒーと出会いたいものです。
珈琲は嗜好品

珈琲は嗜好品と言われていて、
ウィキペディアにはこう書かれています。
出典:Wikipedia
嗜好品(しこうひん)とは、風味や味、摂取時の心身の高揚感など、味覚や臭覚を楽しむために飲食される食品・飲料や喫煙物のことである。
となると、「心身の高揚感」や「楽しさ」を感じるのが珈琲。
あぁ、なんか素敵。
個人的には、こういう答えが無さそうな、抽象的な表現が好きですし、コーヒーの良さだと思っています。
難しい珈琲

一方で、「美味しいコーヒー」を飲むハードルが上がっているような印象も受けます。
- この豆の特徴は○○○のフレーバーで…
- 〇〇gを〇〇ccで〇〇分で抽出しよう…
- 蒸らしは何秒で…
- 抽出方法は…
雑誌やインターネットを開くと、こういった情報が多く目にします。
こういうのが好きな方もいますし、確かに楽しさもありますが、人によっては、なんだかコーヒーを淹れることが難しく感じてしまう方もいるかもしれません。
私は、必ずしも
「誰かの美味しい」=「自分の美味しい」にはならない。
と思っています。
誰かの「美味しい」「正しい」にばかり振り回されて、疲れてしまわないように、情報とは上手に付き合っていかなければいけません。
どんなコーヒーが美味しいか?なんて人それぞれ

私は、10人いたら10通りの正解があると思っています。
- ブラックしか飲まない人
- 砂糖とミルクをたっぷりいれたコーヒーが美味しいと感じる人
- 高品質なコーヒーが美味しいと感じる人
どんなコーヒーを美味しいと感じるか?は、人それぞれ変わります。
また、コーヒーの淹れ方も、
- コーヒーメーカーで淹れても良い。
- 抽出方法も自由で良い。
- ドリップも自分が美味しいと思った方法で良い。
- 少し濃かったらお湯を差しても良い。
- もちろん、とことん拘っても良い。
美味しく感じたなら「何でもOK」と考えています。
「美味しいコーヒーを飲みたい」という事が目的なら、「どんな豆で、どんな淹れ方をするのか」は手段でしかありません。
手段と目的が入れ替わって、「こういう豆でこういう淹れ方じゃないと美味しくない」みたいな「呪い」にかからないように私自身、気をつけています。
コーヒーが好きだからこそ、ウンチクっぽくならずに、自由に楽しみたいと思っています。
たしかに、美味しい淹れ方や、そのための知識や技術はありますが、
特別な人しか「美味しいコーヒー」を淹れることが出来ない。なんて事は無いと思っています。
好みの珈琲(豆)を探す

とはいえ、好みの珈琲(豆)を見つける(探す)のは大切です。
こればっかりは、たくさん試してみるしかありません。
もちろん、今、美味しいと思って選んだ珈琲も、舌が超えてくれば、なんか違う。と思うこともあるかもしれませんが、そう思えることが成長だと思えば、楽しく珈琲と付き合っていけます。
未熟さも、失敗も、楽しいと思えます。
自分で探して、思考して、実践して、失敗して、そうして出来上がった、自分の感性や経験こそ、何より大切な財産になります。
「浅煎り」「深煎り」「酸味」「苦味」、きっとどれも正解。
「みんな違って、みんな良い」のです。
味だけではない「何か」で美味しさを感じる事もある

さらに、味だけではない「何か」で美味しさを感じる事もあります。
- どんなに有名な画家が書いた絵より、我が子が書いたドラえもんの方が親にとっては「良い絵」になるでしょうし、
- 有名店のカレーより、キャンプで作ったカレーをみんなで食べる方が美味しく感じます。
コーヒーも、
- 専門的な言葉を魔法のように浴びて緊張感をもって飲む高品質なコーヒーより、大切な人が丁寧に淹れてくれた何気ないコーヒーの方が美味しいと感じるのでは無いでしょうか。
そういう一杯こそ「美味しいコーヒー」なのかもしれません。
結局のところ、何g、何cc、何℃、何秒、という数字だけでは、美味しい珈琲を淹れる事は出来ないと思っています。
「いつ」「誰と」「何を」「どこで」「どんな風に」という「味以外の要素」は、美味しさに大きな影響を与えます。
「美味しいコーヒー」と聞くと、ついつい「正解」や「テクニック」的な事を求めてしまいがちですが、私はやっぱり、コーヒーはロマンティックな嗜好品であってほしいなぁ。と思うのです。
まとめ:コーヒーは主観で良い。

最初にお話したように、私の「美味しいコーヒー」は、
「気づいたら、もうこんなに飲んでた」
というコーヒーです。
自然とコーヒーが進んでしまうわけです。
ここに他人の意見はありません。
コーヒーの進みを早くしているのが、「味」なのか「感情」なのかは分かりませんが、
誰がなんと言おうとそれは、自分の感情で選んだ「自分にとって美味しいコーヒー」なのだと思います。
必ずしも「誰かの美味しい」=「自分の美味しい」にはなりません。
つまり、ネット上にはヒントはたくさんありますが、答えは無いんですよね。
コーヒーは主観で、いろんな珈琲を、いろんな淹れ方で試してみたいと思っています。
誰かの基準では無く、自分の基準で選ぶ「美味しいコーヒー」が見つかれば、今までの何十倍も何百倍も、「楽しく」「美味しい」コーヒーライフになると信じて、今日も珈琲を淹れています。
取り止めのない文章にお付き合いいただきありがとうございました。
良いコーヒー時間を!
